試行錯誤を続けた日々

2018年の清里リトリートのお知らせを受け取って、本当に心からの喜びを感じました。
毎年、彼が来日してその深いプレゼンスに触れられることが、どれほど私の人生を変えたか、言葉にできません。
私にとって、この教えを実践することは、一筋縄ではいかない歩みでしたが、レナードに出会えたことは、人生最高の恩寵だと思っています。

私は何でも頭で難しく考えすぎてしまうところがあり、彼のシンプルすぎる教えは、逆に私にはとても難しく、途方に暮れることもしばしばありました。
みなさんが素直に実践されてどんどん深いプレゼンスに入っていくのに、私はマインドの中で一人取り残されているような恐怖や悲しみ、絶望感にとりつかれたこともあります。
決して自分に向き合ってこなかったわけではないし、そうした感情を受け止めて来なかったわけでもありません。

何年も彼の教えに触れて試行錯誤しているのに、一向に私のプレゼンスは深まる気配もなく、ただただ混乱し、私にはもうこの教えを続けていくことは無理です、と、あるとき泣きながら神に訴えたことがありました。
そのとき、神は私にだけわかる、確かな印を送ってくれました。それは、私には「そのままで良いから、歩み続けなさい」というメッセージのように取れました。

私は、どうやってもみんなのようにはできない。うまくできなくてもいいから、不器用なりに少しでも感覚がつかめたらいい。そんな願いすらも叶わない中で、歩み続けることは本当に辛いことでしたが、結局、どうあがいても私は自分の歩みをすることしかできないのです。

頭でわかっていても、そんな自分の歩みを受け入れることは、とても辛いことでした。プレゼンスの教えに触れながら、プレゼンスにどうやってもいられない私には、ひたすらその苦しみを生きるしかありませんでした。

この教えがとても大切なものであることは認めているけれど、いつしかリトリートのお知らせを受け取るたびに、心が重くなる年が何年か続きました。
それでも何とかリトリートに参加し続けて、毎回、自分の至らなさを突き付けられ、宿題を持ち帰って、次の年まで試行錯誤する、という日々を送っていました。

私の中のプレゼンスの種は、腐ってもう芽を出すことはないんじゃないか、と淋しく思っていたところ、ふとプレゼンスの気配が少しだけ感じられるようになってきている自分に気づきました。こんな私にもプレゼンスの種は育っていたんだと、そのときとても感慨深く感じました。

そうして受け取った2018年のリトリートのお知らせは、素直に心からの喜びを感じることができました。

簡単ではなかったこれまでの歩みだけれど、そうであったからこそ気づけたこと、体験したこともたくさんありました。ショックを受けたり、悲しかったり、悔しかったり、様々な思いを味わいましたが、それでもこの教えから離れずにいられたのは、この教えが本物だったからだと思います。

この教えに出合っていなければ、私は何を人生の軸として生きたらいいのかわからずにフラフラと彷徨い続けていたでしょうし、内なる神にも触れることなく、現実感のない人生を送っていたでしょう。

どんな時もぶれることなく、変わらず私たちを導いてくれたレナードに心から感謝します。そして、今年またあの素晴らしいプレゼンスに触れられることを本当に楽しみにしています。

すべての参加者のみなさんにとって、リトリートで体験するプレゼンスが命の糧となりますことをお祈りしています。(内山 真理子さん)

2017春 清里リトリートにて